ぷれす通信

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ぷれすスタッフによる不定期連載コラム

なんでも書いていいって言ったじゃないか! 第19回

ぷれすスタッフによる不定期連載コラム

都立中央図書館

 

三輪しののい

 

「好きな図書館は?」と聞かれたら、広尾にある都立中央図書館と答えるだろう。子どもの頃から少なからぬ図書館に足を運んだが、東京に出てきて20年、ここに一番の思い入れがある。

 

 知ったきっかけはコーヒーである。学生時代を地方で過ごし、都会の喧騒が恋しくなったのでこちらに居を構えた(就職も決まっていなかった)。?気な話だが、喫茶店巡りをして街を知ろうと考え、本や雑誌を頼りにひと月くらい都内を散策していた。そこに景色を楽しめる喫茶スポットとして、この図書館の食堂が紹介されていたのだ。

 

 有栖川宮記念公園の一角にあると読んでさっそく出かけてみると、池があり、台地を散歩道が広がり、遊具ではインターナショナルな子どもたちで賑わう様子にすっかり魅了されてしまった。

 まるで外国にいるみたいではないか。

 鳥のさえずりを耳にしながら広場を抜けると、静寂を醸し出す高い木に囲まれ、国内公立で最大級の蔵書数を誇る「知の宝庫」が構えている。

 すぐさま5階にある食堂へ向かうと、東京タワーや完成前の六本木ヒルズを擁する港区の街並みが目に飛び込んできた。

 なかなかのロケーションである。

 フロアーは広く、食事をする人のほかに難しそうなテキストを広げて黙々と勉強する人もいる。

 配膳カウンターで食券と引き換え、カップとソーサーをかたかた鳴らしながら、こぼさないよう慎重に運んだ。

 窓際の席について息を整え、お目当てのコーヒーにゆっくりと口をつける。程よい苦味が視界をクリアにしてくれ、景色の彩度も高めてくれるようだ。

 遠くまで無数のビルが立ち並び、その稜線の上を澄ました顔で飛行機が飛んでいく。

 こんな都会でも空はあきれるほどに広い。

 

 しばらくして出版社でのアルバイトを見つけ、校正者になるべく週2日の夜間学校にも通うことにした。資格を取って生業を得ることにしたのだ。

 そうだ、休みの日はあそこで勉強することにしよう。

 喫茶スポットに始まった図書館は、こうして資格取得のための学習の場となった。みんなと肩を並べて取り組めば、やる気を分けてもらい励みにもなる。

 人文科学系の3階でノートを開き、集中力が途切れると5階へ上がってひと息つく。食堂が出すものでなく、入口にあるカップ式自販機のコーヒーでも十分にリフレッシュできた。

 

 無事に資格をものにすると、すぐに仕事が決まって雑誌校正者としてスタートを切った。その後もスキルアップして幅を広げるために、折に触れて図書館でノートを広げたものである。

 職場を掛け持ちしたり転々としたり、意欲と実力が釣り合わずに傷つき眠れない夜を過ごしたりもした。この仕事は向いていなかったのかなと、故郷に帰る暮らしが頭をよぎったこともある。

 それでも東京に来て身に付けた校正の仕事は手放せなかったし、気持ちを新たにするときには必ず広尾駅の改札を抜けた。

 都立中央図書館こそが、校正者としての自分の原点なのだ。

 

 コロナ禍でしばらく遠のいていたが、桜が咲く時期に、なぜか無性に館内の匂いをかぎたくなって出かけてみた。

 そして見晴らしのよいあの食堂へ。

 窓に面したカウンターの椅子を引き、マスクを外して、おもむろにペーパーカップのコーヒーを口にする――。

 

 どの図書館にも、蔵書目録にはない、本人にしか閲覧できない1冊が書架にあるという。

 月並みな表現で言うならそれは思い出である。奥付には最初と最後に訪れた日付が、第1刷と第〇刷といったように刻まれている。

 時間をつくれたら、その本を開きにゆかりのある図書館を訪ねてみようか。

 もう10年も20年も経つし成長して随分と変わったことだから、奥付には「改版」として新たに1行加わるのかな、などと想像して。

 

 再びコーヒーをすすり、建設中の虎ノ門・麻布台プロジェクトのビルを眺め、これからも自分にとっての高みを目指して進んでいこうと心に誓う。

 東京の空は相変わらず広く、梢で辺りを見回していた鳥が勢いよくどこかへと羽ばたいていった。

 

 

〈出版の窓〉

 奥付とは本の最後に、タイトル、著者名、出版社名などが載っているページです。〇年〇月〇日第1刷発行といったように、最初の発売に向けた日が記されています。その隣に第2刷とあれば、売れ行きがよかったので2回目の印刷で作られたものという意味を表し、これを増刷と言います。

『重版出来!』という漫画・ドラマがありますが、重版は本来、中身に多少なりとも手を入れて出すことなので、第1刷と同じものを印刷する増刷とは異なります。ただし、この頃では同意義で使用されることも多く、「おかげさまですぐに重版かかりました!」なんて編集者の声を耳にすることも。

 大幅に修正をしたり組み直したりして印刷すると、「改版」の名のついた日付も並びます。一時期、文庫本の文字を大きく作り直す校正が続いており、文字組も総ページ数も変わるその奥付には、ちゃんと改版と記されていました。

 

 

《著者プロフィール》

三輪しののい

1976年生まれ。神奈川県出身。