ぷれす通信

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ぷれすスタッフによる不定期連載コラム

なんでも書いていいって言ったじゃないか! 第16回

ぷれすスタッフによる不定期連載コラム

味わいの秋、物語の冬

 

三輪しののい

 

 季節の訪れを感じるシーンは様々だが、時としてそれは売り場に並べられた缶ビールということもある。

 新幹線で帰省してお盆休みを満喫したあと、マンションへと帰る道すがら立ち寄るスーパー。狙いすましたように「秋」の名のついたビールが出ていて、夏の終わりを感じたものだ。

 ここ2年は帰省せず、そうした趣に欠けているが、仕事終わりにふらっと入ったコンビニで紅葉がデザインされた缶に気づき、そんな時季か……なんて胸を弾ませレジへと向かう。

 

 ビールのうまい季節というと夏のイメージであるが、実は秋がそうらしい。

 というのもホップの収穫が夏に行われ、それから醸造するので、肌寒くなった頃にできあがるものが本来の旬なのだそうだ。「とれたて」とか「初摘み」などを冠した季節限定ビールが、秋の深まる頃に毎年出ているのが証拠である。

 年中流通しているビールのホップは、保存のために乾燥させて圧縮したものを使用しているとのことで、いかんせん香りが弱くなってしまう。生のホップを使えばフレッシュさがそのまま香りに現れて味わいが増すというわけだ。

 こうした背景もあって、たとえ生のホップを使っていなくても、秋から冬にかけて飲むビールはより美味しく感じる。

 

 愛飲しているのは、キリンの「秋味」とサッポロの「冬物語」。どちらも30年以上続いている季節限定ものである。

 ともに専用のサイトがあり、歴代のパッケージデザインを目にすることができるので興味のある方はご覧いただきたい。

 発売当初のシンプルなものに始まり、鮮やかな紅葉を全面にあしらった「秋味」と、10年前後でベースカラーを白と青(雪と夜空?)の代わりばんこにしている「冬物語」。

「秋味」は縦組み、「冬物語」は横組みに文字をレイアウトした年が多い。

 それぞれ時代の雰囲気も感じられるし、サイトを見ながら飲むのもなかなか乙である。

 今年は例年より早めに「冬物語」が出たのでその必要はなかったが、いつもは売り切れどきを見計らって「秋味」を何本かストックしておく。「冬物語」の発売に伴い、両方の缶を並べて、飲み比べるのを贅沢としているからだ。

 

 結露で濡れることもなくなった缶を眺めて、秋と冬の季節の狭間を意識してみると、忙しなく過ぎていく時間をいつになく慈しむことができる。

 それでつい年甲斐もなく飲みすぎてしまうこともあるのだが、ここ数年、酔うといろいろなことが懐かしく思えて仕方がない。

 埃をかぶったアルバムを引っ張りだしては昔の友達のことを思ったり、Spotifyで学生時代に流行った曲を聴いたり、ひどいときにはYouTubeで自分が生まれる前の東京の風景なんかまで検索して、記憶を遡りすぎたりもしている。

 

 きっと「冬物語」なんて字面を前にしているからいけないのだ。

 多感な年頃に、「人生は自分の物語をつくることである」なんてどこかで目にして以来、自分は読むに値する人生をつくっているのだろうか、と折に触れて問いかけるようになった。

 寒い季節は沈思黙考が似合うこともあってか、酔いにまかせて現在にいたる出来事や感情をなぞっては、その意味を探してしまうことも多くなるわけだ。

 あるとき、会社の先輩にこうした哲学的思索行為をこっそり告白したら、「それはね」と勢いよく肩に手を置かれ、「単におっさんになっただけだから」と一笑に付されてしまったが。

 

 9月に入って急に気温が下がり、東京では7日連続で25度未満という113年ぶりの低温が続いた今季。秋が短くなったと言われてはいるけれど、目を凝らせばしっかりと季節を味わうことができる。

 毎日の電車から見える木々も次第に色づき、紅葉が陽に焼かれ、やがて冴えた空の下を色とりどりのコート姿が行き交うだろう。

 そうした移ろいに目を向けて、ふと心に抑え込んでいた疼きに出くわし、言葉にできない感情に包まれてみるのも悪くはない。おそらく切なくも心地よいその抱擁に身をまかせたくなるはずだ。

 いわばほろ酔いに似た感覚……。

 

 季節の名を目にしながら口に含む黄金色のビールは、時に世界を特別なものに変えてくれる。

 目の前に広がる景色も、心によみがえるいくつものシーンも。

 

 

〈出版の窓〉

 年初からビールの話題で盛り上がった今年。そう、LAGERとすべきところをLAGARとしてしまったビールのひと騒動です。たった1文字によって、これまでに費やしてきたもののすべてが文字通り泡になりうるという事実に、出版関係者も我がことのように怖気を感じたのでは?

 それにしても、関係部署を横断して(おそらくしているはず)何人もの目をすり抜ける誤植のいやらしさ。校正する際はやはり性悪説的なアプローチでないと、誤植連中に付け入られてしまうのです。

 幸いにしてビールは無事に発売され一件落着しましたが、改めて1文字の重みを痛感し、気を引き締め直す出来事でした。

 

 

《著者プロフィール》

三輪しののい

1976年生まれ。神奈川県出身。