ぷれす通信

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読んだら書きたくなりました vol.129

『春宵十話』

岡潔 光文社文庫

高校生の頃、数学の問題の解法がわからず塾の講師に質問したところ、あまりに我流すぎる解法を示され戸惑ったことを覚えています。正解には違いないけれど理屈が腑に落ちないし、仮に腑に落ちたとしても自分の思考の流れに合わないと思われました。さらに遡ると小学校で3桁の足し算を習った頃、周りが暗算で問題をすいすいと解いていくなか、靴下を脱いで足の指も使って指折り数えていたことがありました。どちらの場合も実感が追いついていなかったのでしょう。ですが、いつまでもそうしていると取り残されると思い、実感が湧くのを待たず取り繕い遣り過ごすことを優先するようになりました。それが習性になり、「わかった」と「わかったふり」を区別する感覚が鈍くなった気がします。私が数学に対して苦手意識を抱くようになったのは、周りに比べて理解が遅い自分への劣等感を誤魔化そうとわかったふりを続けた結果か、もしくは、誰かが作った法則に無批判に従ったつもりが、無批判ゆえに法則の意図を汲み取りきれず内実従っていなかったという状態が続いた結果か。いずれにせよ自分がまいた種なのだろうと本書を読んでいて身につまされましたが、一方で、そんな自分だからこそ芽を出し、すくすくと育った種があるのだととても励まされました。苦手とはつまり、私がただ自分の情緒を重んじ、感覚を信じ、それらの赴くまま心の中に私の数学を開発していたということに他ならない。そう気づかされたからです。数式を一切用いず、「物の数ではない」数学を伝えるのが本書といえます。分類としてはエッセイに当たりますが、私には本当の意味での数学の実用書に感じられました。(くろ)

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『新美南吉童話集』

新美南吉/著 いとう瞳/イラスト ハルキ文庫

ビジネス書、実用書、話題作と、いつのまにか必要に迫られるだけの読者空間に陥って疲れてしまうこともあるのではないでしょうか? そういう時におすすめしたいのが子どもの頃に親しんだ童話です。新美南吉といえば「ごんぎつね」。小学校の教科書で読んだ、いたずら好きで即物的ながらも実は優しいごんの健気な姿と、そのごんを撃ち殺めてしまった兵十の後悔に、胸を痛めた記憶のある方も多いのでは。そんな原体験ともいえる読み物に再び手を伸ばしてみると、心の中の絡まりがほぐれていく自分に気づきます。動物や子どもの視点から世の中を見直してみると、かつて自分が感じ取っていた世界が再び立ち現われ、懐かしさを抱くとともに、すでにそれは手の届かない所に去ってしまった寂しさを覚えます。けれども、その個人的な過去の心象風景をなぞる試みこそ、今を輝かせる道筋でもあるのです。物語の効能とはそういうもの。たとえば「小さい太郎の悲しみ」「疣」といった、子どもと大人の世界とのひずみに立たされたときに見つめる主人公の決意や眼差しの強さは、大人の世界を生きているからこそ違った響きとして受け止められます。生きることにつきまとう悲しさにどう向き合うのか。「かなしみは だれでも もって いるのだ」「わたしは わたしの かなしみを こらえて いかなきゃ いけない」。大人になった今だからこそ改めて読みたい本です。(もん)

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