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ぷれす通信

ぷれすスタッフによる不定期連載コラム

なんでも書いていいって言ったじゃないか! 第2回

<h3>ぷれすスタッフによる不定期連載コラム</h3>

古本に過去ありイロコイあり


三輪しののい



この頃はネットで探すことも多くなったが、古本屋さんに足を運ぶのは相変わらず好きである。タイトルや著者を入力してターゲットを絞るネットと違って、なんとなく眺めていた棚に面白そうな本を見つけたり、懐かしいものや、欲しかったことさえ忘れていたものがあったりする。
うちの書棚には古本の店で購入したハードカバーがそこそこあり、絶版などはカバーにトレーシングペーパーをかけて並べている。
数年前に「電子書籍にも古本が!」という記事を目にしたけれど、その後どうなってしまったのだろう? 僕は決して電子書籍を否定するわけではないけれど、古本の楽しみは電子にはないものであるのは間違いないと思う。紙の本であるからこそ、古本は古本たりえているのだ。

古本の最大の魅力は、本に経歴があるということにある。つまり、前の持ち主が残した跡だ。ヤケ、シミ、折れ、におい……。その本自体に「物語」がある。
これまでに出合った最も記憶に残る経歴を持つものは、大学時代に遡る。
アメリカ文学の卒業論文を書くために、絶版になった翻訳の作品集五巻セットを手に入れなければならなかった。図書館で借りてもすぐに返さなくてはいけないし、今のようにネットであれこれと選べる環境もない(20世紀ですから)。なので、古本の店をまわって見つけたものを購入するしかなかった。
作品集はバラで一冊見つけても、その後うまく他の巻が見つかるとは限らない。結局は面倒くさくなって全巻セットのものを買い、ダブることになる。それを避けるために辛抱強く僕は探した。

街をあちこち歩き、何週間もかけてようやく五巻セットを見つけたときは、「あった!」と声に出してしまった。さっそく、紐で縛られたそれを店主にほどいてもらって、買う気まんまんで本を開くと、なんと全ページに鉛筆で猛烈な書き込みがしてあった(しかも五冊ですよ。よくこんなものを買い取ったな、とあきれた)。にもかかわらず、値札にはマジックで強気の金額が書かれている。温厚な僕もさすがに、天国から地獄に突き落とされた気分になり、義憤にかられ、思い切って値切り交渉をすることにした。
しかし、古本を扱うオヤジというのは怖い。
「値切りに応じるような本は置いてない」
そう吐き捨て、堆く積まれた本の整理に戻ってしまった。
敗北である。
泣く泣くその作品集を購入して、嫌だな~と思いながら読むしかなかった。論文を書き終えたらオヤジのところに売り戻しに行って、いくらで買い取るのかこの目でしかと見届けてやる! 復讐心めらめらである。

ところがどっこい。なんと書き込みを読むのが面白くなってしまったのだ。
というのは単なる傍線や波線だけでなく、登場人物に対する感情の吐露があちこちに記されているのだ。
「こんな弱音はけしからん!」とか「自分ならここで立ち去る」とか「この姿勢をなぜ最後まで貫きとおさない!」など、下手くそな細い字で書きまくっている(当初、頑張って書き込みを消そうとしたが、この紙をえぐる細字であきらめた)。
論文を書くために手に入れた本なので、当然僕もテキストを読み込む。そのうち、その書き込みに納得したり、反論したり、読み違いじゃねーか?など、前の持ち主との文学談議が始まってしまった。
いったいどんな人が書いたのだろう? 小説家志望だったのかな? 語り合う仲間はいなかったのかな?などと、なんだかあれこれと想像が膨らみ、手放すのが惜しくなってしまい、卒論を書き終えたあとも手元に残すことになってしまった。だから、オヤジがいくらで買い取るのかはわからずじまいで、しかもその店は数年後シャッターが下りたままになり、いつしか店そのものがなくなっていた。

もう一冊、どんな持ち主だったのだろうというのがある。
僕はリチャード・ブローティガン(1935-1984年)というアメリカの作家が好きで、翻訳が手に入らないときは、コレクション的な面を含めて初版の原書を購入していた。The Tokyo-Montana Express(『東京モンタナ急行』)のハードカバーを発見して、さっそく手に取ると、トビラにブローティガンの死亡記事(日本の新聞2紙)の切り抜きが糊で貼り付けてあった。鉛筆で1984、10/27(土)とある。コレクションとしては、ダメージ本にあたるがこれはある意味貴重である。
だが、それだけではなかった。
家に帰り、例によってトレーシングペーパーをかけようとカバーを外したら、ソデに隠れていた箇所(表3)に万年筆で英語のサインがしてあったのだ。本文に書き込みがないかを確認してすぐに購入したので、カバーを外して状態を確認することを忘れていたのである。
しかし、どう読んでもBrautiganのスペルではない……。Kevinナントカさんである。
もしかして、Brautiganにゆかりのある人かも?と、そのKevinナントカをウェブで検索しても一向にひっかからない。おそらくこの本の持ち主の名前なのだろう(普通書くか? 子どもじゃないんだし)。がっかりしたけれど、1980年に発売されたこの本は少なくとも2名(Kevin、記事を貼った人物)の手を経て僕の元に来たことがわかった。読み継がれたなのだ。
もし、僕がこの本を手放すときは、前の2人に倣って何かしら自分の「しるし」を残そうと思っている。

最近の古本にまつわるエピソードでは、全国展開しているB〇〇K〇FF(伏字の意味が……)に足を運んだときのことである。
ここでは基本的にCDやDVDしか見ないのだけれど、目ぼしいものがなかったので、ちらっと本のコーナーに足を運んでみた。外国文学の文庫のところに行くと、「お!」というものを見つけたので、ぱらぱらめくると二つ折りのメモが挟まっている。開いてみると、とある近隣の国の文字。なんとそれはパスポート情報だった。
「まったく、おっちょこちょいだな~」と笑っていたが、ふと映画だかドラマだかあるいは小説だか忘れたけれど、メッセージを本に挟んだスパイやらサスペンスものみたいなのがあった気が……。
僕は慌てて本を戻してその場を離れた。
とある近隣の国のスパイやら地下組織が、偽造パスポートに使うための情報なのかもしれない。そんな連中に巻き込まれ、恐ろしい目に遭うのはごめんである。帰りしな、指紋をぬぐっておけばよかったとひどく後悔した。
その後、そのパスポート情報とそこに記された人物がどうなったかは知らない。
古本探しもある意味命がけであるのだ。(みんな妄想って笑うけれど、スパイや地下組織だからニュースになってないだけかもしれないじゃないですか!)

そんな、危険と隣り合わせ(?)の古本探しではあるが、今日も街に出て店をのぞいてみようかと思っている。
ウェブの古本の店は評価にかかわるので、細かく本の状態をチェックして開示している。それは購入者にとってとてもよいことではあるけれど、その本が持っている過去というかパーソナリティみたいなものを、丸裸にしてさらしているようで、なんだか可哀そうな気がしないでもない。
固く口を閉ざし、すました顔で書棚に収まってはいるものの、じつはとんでもない秘密を隠し持っている――そんなスリリングな一冊と巡り合えるかもしれない。
古本は文字通りその本がたどった「物語」を秘めている。
古本の店はそうした色濃い「物語」が交錯した場であり、魅力と危険を含んだオトナの色恋にも似た出合いの場とも言えるのではないか。

〈出版の窓〉
古本と古書の違いについて調べてみると、古本は在庫があるもので、古書は絶版になった(高価になった)ものといったことがウェブに載っている。これは、紀田順一郎『情報読書術―何を買い、どう読むか』(実業之日本社、1982年)による分類らしい。いっぽう、東京都古書籍商業協同組合インターネット事業部が運営するウェブサイト、「日本の古本屋」には澄田喜広『古本屋になろう!』(青弓社、2014年)から転載した古本用語集があり、それによると、古本と古書の「違いは曖昧」と記されている。いくつか辞書を引いてみたが、決定的な定義の違いは見られない。そういうわけで、このコラムでは「古本」に統一した。

《著者プロフィール》
三輪しののい
1976年生まれ。神奈川県出身。

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