ぷれす通信

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2012年5月号

デッドゾーン 心ここにあらず

デッドゾ-ン 心ここにあらず

 

今月のデッドゾーンは、藤田初巳『校正のくふう』(印刷学会出版部、昭和52年第3版)からお届けします。

 

――その昔、17世紀のはじめにドイツで出版された『校正便覧』では、校正者の資格を「校正者ハ喜怒哀楽ニ身ヲ任セテハイケナイ。マタ、飲酒ヲツツシミ、カツ恋愛ヲ避ケルヨウニ心ガケネバナラナイ」と決めていたそうです。

 

ハードルが高いと思われる方もおいでかもしれません…これについては藤田氏も、「こうなると、校正者は貝原益軒先生のお弟子にならなければなりません」と書いています。

 

藤田氏は、校正上の心ここにあらずの状態、すなわち同書にいう「心理的原因による手落ち」について、前述のドイツの例のほかに、

 

1.条件反射

2.錯誤

3.知識の片寄り

4.感受性の片寄り

 

の4つを挙げています。

 

1.の例:「たとえば、前後の関係で当然 困難 という熟語が出てきそうなところに 困離 と組まれていても」文脈に引きずられて 困難 と読んでしまう、あるいは著名人の姓名をひと組として読んでしまうことで、たとえば「西田幾太郎」と組んであっても気がつかない

 

2.の例:「誤字を直すつもりで、そこにふたたび誤字を書き入れてしまう」

 

3.の例:「芝居好きの校正者が もとの木阿弥 を 黙阿弥 に直した」

 

4.の例:「執筆者の反語やしゃれを理解できない」校正者が「飛行機の上で議論したから 機上の空論」としたのを「机上」と直した

 

――いかがでしたか? どちらの例も、うっかりやってしまいがち。(2)の例も実際に見たことがあります。つい、見たままを書いてしまったのでしょうね。入朱にエンピツ、いずれも書き込む前に一呼吸おく。これが肝心です。(S)

この一冊!『漢字の気持ち』

この一冊!『漢字の気持ち』

『漢字の気持ち』

漢字の気持ち

高橋政巳、伊東ひとみ 著

新潮文庫(2011/3)

206ページ/文庫判

ISBN 978-4-10-134190-3

380円(税込)


「道に迷わば、漢字を見よ!」

 

本書は、ひとつひとつの漢字が背に負っている古代中国の人々の思いを、語源をさかのぼりながら紹介する本です。古代の人々の祈りや思考、知恵、喜びや悲しみ、悩みや苦しみを古代漢字が身をもって教えてくれます。

 

冒頭に出てくるのは「響」。「郷」+「音」で成り立つこの漢字、古代漢字では「ごちそうが並んだ食卓をはさんで二人の人が向き合っている姿」が描かれています。食卓をはさんで会話を楽しみながら賑やかに食事をしている様子が浮かびますが、そこから「心が伝わる」という意味が含まれるようになったそうです。

 

「『悲しみ』と『哀しみ』の違い」も取り上げられています。「悲」は「羽が左右反対に開いた『非』の形」を受けて、胸が裂けるようにせつないさまを表しています。一方の「哀」は、「『衣』という字の間に『口』がはさまって」いることから「衣で口を隠して悲嘆に暮れる」姿=「思いを胸中に抑えてむせぶ」意味があるといいます。胸が張り裂けそうになるのと胸中に思いを隠すのとでは、受ける印象がずいぶんと違いますね。

 

本書の魅力は、漢字ひとつひとつの語源を知る楽しみ以外に、惜しげなく書かれたたくさんの古代漢字の書を楽しむことができる点にもあります。著者(高橋氏)の書く古代漢字は、どれも生き生きとした筆致で(私は冒頭の「響」がいちばん好きです)、古代人の生活の様子、心情が目の前に立ち上がってくるようです。紙面から飛び出してくるような躍動感もあります。

 

遥か古代中国の人々も、われわれ現代人と同じように日々喜び、悲しみ、助けあって生きていたことが本書いっぱいに書かれています。例えば「優」は「人」+「憂」、かなしむ人のそばに人が寄り添う姿は現在と何ら変わりはありません。

 

「米」が散らばって「迷」ってしまったり、かわいらしいところもある古代中国人の心にあなたも触れてみませんか。