ぷれす通信

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ぷれすスタッフによる不定期連載コラム

なんでも書いていいって言ったじゃないか! 第20回

ぷれすスタッフによる不定期連載コラム

ロケ地巡りで出会うのは

 

三輪しののい

 

 会社の近くに昭和レトロな大衆割烹があり、時々ドラマなどのロケ撮影が行われている。年月を経た趣のある店が年々減っているせいか、今や貴重な場所となったようだ。

 入口の印象に反して中はけっこう広いので、カメラや照明などのスタッフが入っても思い通りの画が撮れるのだろう。

 住宅地ゆえ車もあまり通らないし、ロケをやっているからといって騒いだりする住民もいない。向かいに小劇場があることから、準備や待機ができるので、演者もスタッフもやりやすそうである。

 

 僕はミーハーなので、設置された機材を目にすると、待ってましたとばかりに撮影を見てしまう。仕事帰りで疲れていても、外にあるモニター越しに、リハーサルから本番までしっかり楽しませてもらう。(中の様子はさすがに見られない)

 極寒の2月でも猛暑の8月でも構いやしない。店の奥では、今まさに物語の場面がクリエイトされているのだ。

 

 見物していて一番胸が高鳴る瞬間といえば、撮影を終えたあとである。

 ずっとモニターの中にいた映像世界の人物が、生身の人間として店から現れるのだ。

「あのどハマりしていたドラマの主役が目と鼻の先にいるなんて!」という驚きと、人気俳優の視界にこの自分が入っているという「おかしみ」に、歌でもうたいたい気分になる。

 いかんせん残念な点をあげれば、皆さんそろってマスクをしていることだ。

 感染症対策をして撮影をしている証しとはいえ、やはり演技とは違う素の表情を見てみたいのが本音である。

 

 さて、最近はドラマや映画のロケ地がすぐにネットにあがる。クレジットは言わずもがな、SNSやグーグルマップなどで特定しているようだ。

 あのシーンの撮影場所で、作品世界の雰囲気を味わってみたい。

 そんな思いを抱くのがファン心理で、ちょっとした趣味になってしまった。

 今はスマホで動画配信を見られるので、現地で場面を確認しながら歩き回り、余すことなく堪能できる。「この場所とあっち側をつないだのか!」なんて、編集の妙に心を打たれることもしばしばだ。

 

 先日も2時間かけて、あるローカル線の駅まで足を運んだのだが、こういう旅の在り方もなかなかよいものだと改めて感じた。

 名所という理由で訪れる観光地に比べ、その場所に対する思い入れはずいぶんと異なる。

 ドラマや映画の世界に惚れ込んで、いわば「心のざわめき」が原動力となり、なんでもない(というと失礼だが)場所にまで向かわせるのだ。

 登場人物の足あとをたどるうちに、光や風や匂いや音が何か特別なものに感じて、時として自己の奥底から、声なきセリフが出てきそうになる。

 失ったものや、追い求めていたもの、手放してしまった憧れ。日常に埋もれて忘れかけていた、なりたかったはずの私、こうありたいと描いていた未来。

 内側から発せられる「問いかけ」に耳を澄ませば、人生を見つめ直すきっかけにもなりえる。

 ロケ地巡りは、けっして浮かれた安っぽいものではなく、思索的な面を兼ね備えた「自分を知るための旅」ともいえるのではないか。

 

 向かったからとて、そこに役者がいるわけではない。

 その代わり思いもよらず、他でもない「自分自身」に出会えるかもしれない。

 

 

〈出版の窓〉

 テレビの出演者が「その場面、残念ながら編集でカットされていました」などと口にするのを目にしますが、校正者もその悲しみに共感できます。

 初校で粘り強く事実確認をしたり、疑問出しに悩んだりした箇所が、再校であえなくカットなんてことがあるのです。時には数ページにわたり赤ペンでダイナミックに×がつけられ「トル」とか「サシカエ」の文字が。

 あの苦労はいったいなんだったんだろうとがっかりしますが、読者が知りえない文章を目にできたのだと思って我慢。

 編集作業による調整があればこそ、番組は時間内に、本は製本で決まっているページ数に収まり、最も伝わりやすい仕上がりで受け手に届けられるのです。

 

 

《著者プロフィール》

三輪しののい

1976年生まれ。神奈川県出身。