ぷれすスタッフによる不定期連載コラム
なんでも書いていいって言ったじゃないか! 第13回
共闘するのは黒い手帳
三輪しののい
年末のやることの一つに、手帳を買うということがある。モレスキン(MOLESKINE)という海外ブランドのポケットサイズの手帳だ。見開きにして1週間の予定が書き込めるタイプのもので、8時から20時までの罫線が引かれている。
10年近くこのモレスキンを愛用しており、過去の手帳も保管してある。
背と本体のちょっとした隙間に、ボールペンのクリップを引っ掛けられてとても便利である(我流でそうしている)。ボールペンはパーカーで、これも長年愛用しているものだ。
そんな年末の風物詩である手帳だが、この頃はすっかりマーケットの縮小にあえいでいるように思えて寂しい。今はスマートフォンに予定を入力して、他のデバイスとも共有できるわけだし、わざわざ手帳を持ち歩くのは面倒で非効率とも言える。
過日、知り合いの編集者に久しぶりに会ったら、すっかりデジタルシフトしていて、手帳はおろかボールペンすら持っていなかった。以前は手帳用のオリジナルスタンプまで作って、得意げに披露してくれていただけにびっくりである。
おそらく「手帳活用術」といった類いの本も減っているのではないか?
ファイロファックスのシステム手帳が、ステータスシンボルとして雑誌のページを飾ったのは遠い昔なのだ。
ではなぜ、そうした時代の流れのなか、いまだにモレスキンを使い続けるのか?
単純に慣れているからである。
長年親しんだフォーマットで、悩む必要は全くなし。タップもフリックも変換もなし。予定変更があれば、そのまま遠慮なく二重線を引いて書き加えるのみ。逆に元の記述が残るので変更のいきさつも一目瞭然である。
それから、日々の多くを占めるPCやスマートフォンでの入力とは別に、「書く」という行為により記憶に留めやすいという長所がある。
走り書きのメモを挟んでおいたり付箋をつけておいたりして、タスク忘れを防ぐなど、ストレートに視覚に訴えかけられる利点もある。これはスマートフォンがあらゆる情報を四角い機器の中に収めていくのと、逆方向の在り方と言っていい。
手帳から紙片がはみ出していたり、折りたたんだメモのせいで変に膨らんだり、そういったスマートではない様子によって大切な情報をアピールする仕方に好感を抱くのだ。
そう、手帳というのは人間味にあふれたものであり、人間味の表れるものなのだ。
たとえば、1月は字を間違えずバランスも美しく丁寧に書くものだが、そのうち春が過ぎ夏ともなると新しかった手帳も日常に溶け込んで、書き記す文字はずいぶんとラフになっている。
さらには床に落としたりしても気にしなくなり、角には擦れができ、小口は汚れ、秋が過ぎて冬になるとページがぐらついて全体的にくたびれた様相を呈する。しかし、その手になじむ感触がもう他とは代えられないものになっている。
年の瀬も押し迫り、新たな手帳を手にする頃には、残り少なくなったページにもの悲しさを覚える。同時に「ああ、この1年頑張ったな」という充足感に浸ることができるのだ。
スマートフォンの手帳アプリが、やれたり汚れたりぐらついたりしたら、それは単なる故障である。
2021年がいったいどんな年になるのかはわからない。
2020年と同様にハードイヤーとなるのかもしれない。
それでも毎日スケジュールを書き込んで、ページを手繰り続け、1年間突き進んでいこうと思う。
最終日の記録を終えたときに、今年もこの手帳と共に闘い抜いたのだと。そう強く納得できるように。
〈出版の窓〉
2021年の東京五輪に伴い、祝日の移動が12月に公布されました。「海の日(7月の第3月曜日)」が7月22日に、「スポーツの日(10月の第2月曜日)」が7月23日に、「山の日(8月11日)」が8月8日(9日は振替休日)にそれぞれ移動です。
五輪延期の決定により、5月の時点で2021年の祝日も「特例」設定とする法案が国会に提出されていましたが、審議が終わらず成立見送りに。そのため出回っている手帳やカレンダーの多くは通常の祝日で制作されています。ニュースでも取り上げられているように、間違えないようにしないといけませんね。
手帳の校正について少しお話しすると、絶対にミスがあってはいけないのです。書籍の場合は最悪、重版をかけて修正することができますが、手帳でその方法はとれません。ミスがあると全冊に修正のシールを貼ることになります。営業の方が文具店や書店に謝罪行脚するなんてことも耳にした記憶が。
そうしたプレッシャーのなかで校正してできた手帳やカレンダーに、「1億総朱入れ」されてしまう様子を想像すると……不憫でなりません。
《著者プロフィール》
三輪しののい
1976年生まれ。神奈川県出身。