ぷれす通信

communication

ぷれすスタッフによる不定期連載コラム

なんでも書いていいって言ったじゃないか! 第7回

ぷれすスタッフによる不定期連載コラム

駅弁なればこそ

 

三輪しののい

 

僕の実家は長野県にあり、年末年始やお盆休みには必ず帰省するようにしている。実家と言っても育ったのは神奈川県だし、長野県民として住んだのは10代の頃の4年間だけなので、信州のことについて聞かれてもわからないことが多い。まあ、何はともあれ、近すぎず遠すぎずといった場所に実家があるのはよいものである。

以前は帰省ついでに東京駅のコインロッカーに荷物を預け、周辺をぶらついてみたり、気になったお店でご飯を食べたりしたものだけれど、ここ数年は行ってみたいところもないし、店はどこも込んでいて落ち着かないし、寄り道せずに帰るようになった。ようするに面倒くさくなったのである。トシだ。

 

そうは言っても、何もせずにただぼけっと新幹線に乗って帰るだけというのもわびしい。そこで普段は食べることのできない駅弁を買って、車内で楽しむことにしている。

東京駅には全国の有名な駅弁を売っているところがあり、店名の「祭」そのもの、いつ行ってもすごい人だかりである。「さて、何を食べようかしらん?」などと甘っちょろい気持ちで向かうと、目移りしてなかなか決められず、行き交う人のショルダーバッグでボディーブローを食らい、キャリーバッグに足を踏まれ、ようやく選んで向かったレジは激込みでイライラ、電車の時間も迫りハラハラ……と肉体的かつ精神的苦痛を「味わう」ことになる。なので、あらかじめリサーチして狙いを定めておいて、サッと買うことをおすすめする。

 

僕は「これ」というのを決めており、それは岩手県の駅弁「平泉 うにごはん」である。店の入り口のところで平積みになっている人気の品で、迷うことなく手にしてはすぐさまレジに並び、パスモでピピッと会計してその場を離れる。

手のひらにちょうどいいサイズの弁当で、蒸したうにがご飯の上を半分占め、醤油づけのいくらも入っている。数年前に東北に行った際、一ノ関駅で購入したときは、ここが本場なのかとじーんときた。

 

そんな駅弁との出合いは子どもの頃に遡る。帰郷する際、母と妹と3人(父は仕事の関係で数日遅れで帰省)で、決まって幕の内弁当を食べていた。まだ新幹線はなく、上野駅に停まっている特急の指定席に僕と妹と荷物を残して、母はそそくさとホームの弁当売場に向かった。それが必ず幕の内弁当だった。なので駅弁というのは幕の内しかないものと思っていた。

おそらく母は、ご飯と種々のおかずという食卓の様子をそのまま弁当に収めているという点でベストだと考えていたのだろう。

 

最初は駅弁というだけでウキウキしていたものの、途中の高崎駅にある「だるま弁当」(だるまの形をした赤い容器で食後は貯金箱にできる)や、横川駅の「峠の釜めし」(益子焼のずっしりした土釜に入っている)などの存在を知るにつれ、幕の内弁当の持つ食卓の縮図的日常性に満足できなくなった。

小学校も中学年になると「脱・幕の内宣言」をして、峠の釜めしまでの2時間弱をひとり我慢することにしたのである。(補足:今は新幹線ゆえ2時間弱待っていると長野駅に到着してしまう)

横川駅では、群馬県と長野県をまたぐ碓氷峠(うすいとうげ)を越えるために、特急列車の後方に機関車2両を連結するためしばらく停車する。だから、小学生でも慌てることなく、ホームで立ち売りしている釜めしを買って戻って来られたのである。土釜に入っているせいか、まだ少し温かいことに感激したものだ。

次の軽井沢駅まではトンネルばかりなのだが、そのトンネルとトンネルの少しの間に見られる景色はこのうえなく、眼下に流れる川や、廃線となった古いレンガのめがね橋、濃い緑や白銀に彩られた山々といった偉容に目をみはった。車窓からの絶景を眺めながら食べる釜めしは、格段に美味しいと感じたものだ。

 

そんな駅弁にまつわる記憶でもっとも衝撃的な出来事は、父と2人で仙台を旅行した帰りのことである。大ヒットしていた大河ドラマ「独眼竜政宗」が放映されていた昭和62年。

観光を終え、仙台駅始発の新幹線に乗り、荷物を網棚に載せた父は「駅弁を買ってくるけど何がいい?」と聞いた(どうしてうちの親は車中で荷物監視ばかりさせて、駅弁売場に自分の息子を連れていかない!)。仙台には、だるま弁当も峠の釜めしもないだろうし、駅弁の知識もなかったので「幕の内弁当」と答えた。

列車が走りだし、窓際の席が取れなくて残念だな、と思いながら食べていると、缶ビールを飲んでいた父がおもむろに袋から自分の弁当を取り出した。なんと、牛肉がたっぷりご飯の上に載ったとんでもなく美味しそうな駅弁なのである。

実は母はベジタリアンで、これまでそんな罪な弁当が世の中にあることなどひと言も口にしなかったのだ。

「少し食べるか?」と父は僕に肉を分けてくれたけれど、もっと分けて、いや、いっそ丸ごと取り換えて、とまではさすがに言えなかった……。

このときの幕の内弁当による挫折感は非常に大きく、幼心にもう二度と食べるものかと固く心に誓ったのである。

 

ところが、平成最後の冬にして、なんと数十年ぶりに食することとあいなった。学生時代の友達が静岡県の三島に住んでいることがわかり、1泊して久しぶりの再会を楽しんだ帰りのこと。前の日はうなぎを堪能し、夜更けまで昔話に花を咲かせてしこたま飲んだ。朝寝坊したその日は、適当に喫茶店で軽く食べただけだったので、夕方近く少しお腹がすいていた。

新幹線の指定を取っていなかったのだが、東京まで直通で帰れる「踊り子号」に乗れることがわかった。自分が小学生の頃から走っている特急列車である。

切符を取って時間まで待っているあいだ、友達が「車中で」と缶ビールと駅弁を買って渡してくれた。それが幕の内だったのである。数年前に大ヒットしたラブコメドラマのワンシーンに登場したものらしい。掛け紙には切り絵のような富士山と松が描かれている。

ありがたく頂戴して、お互いに照れくさい言葉を交わし再会を約束して別れた。

 

踊り子号の車内は、改装により利便性が図られてはいるものの、やはり昭和の列車だった。そのたたずまいは、子どもの頃の帰省の特急にどことなく似ていた。老朽化によって近々引退してしまうらしい。

三島駅を出発してしばらくすると車窓から海が見えた。夕刻の曇り空だったけれど、間近に海が見えるのは気分がいい。弁当のとじ紐をほどくと、古式ゆかしい幕の内が現れた。缶ビールを開けて喉を潤し、俵形のご飯を静かに口に含んだ。

 

駅弁で不思議なのは、冷たい弁当にもかかわらずそれに疑問を抱かせないことである。

駅にあるコンビニで買った弁当を温めずに車内に持ち込めば「こんな冷たいメシ食えるか!」と不機嫌になりそうだが、駅弁の場合おかまいなしに「ああ美味しいな」と思える。

おそらく、各地の名物というブランド力や、新幹線や特急列車のシートに座るイベント性が思考にフィルターをかけているのだろう。

あるいは、移動する車内で食べるという時間と空間の特殊性により、現実を少し飛び越えてしまうのかもしれない。車窓に見る景色は、不思議と心象という内的な動きを呼び覚ます。窓の外の過ぎ行く風景と、心に浮かび上がるイメージ。この種々のシーンの展開は、味覚に魔法をかけて、何もかも魅力的なものに変えてしまう。

だからこそ、それが冷たい幕の内弁当であろうが、もうそんなことはどうでもよくて、もくもくと箸をすすめてしまうのだ。

 

 

〈出版の窓〉

新幹線開通により、横川駅はルートから外れてしまいました。「峠の釜めし」は東京駅で購入できるものの、時間帯によっては紙容器でしか手に入らず、それじゃあ「紙めし」じゃん、と突っ込んだ人も多いとか。

小話はさておき。

引用文献や参考文献のタイトルを調べる際に頼りにするサイトの一つが「国立国会図書館サーチ」です。試しに簡易検索で「駅弁」を入力すると、「本」「記事・論文」「新聞」「児童書」「レファレンス情報」「デジタル資料」「その他」「立法情報」を含む「すべて」の条件で、なんと1121件もヒットしました。駅弁に関する言及を含めるものという広い意味ではあるものの、数多くの記述があることに驚きます。

「本」に絞って古い順に並べ変えてみたところ、瓜生忠夫さんの『駅弁の旅』という、日本能率協会から1740年に出版されたものがトップに表示されました。しかし、1740年は徳川吉宗の時代です……。制約事項にある「国立国会図書館蔵書の「出版年」の不正確な表示」にあっけなく遭遇してしまいました。検索方法を変えてみたところ、その本の出版年は1974年が正しいようです。

同サイトで、タイトルに「駅弁」の文字が入った最初の「図書」で探してみると、1964年の千趣会クック編集部による『駅弁パノラマ旅行』と出ました。ちなみに、この年は東京オリンピック。もしかしたら、2020年に向けて駅弁の本や特集記事などが結構出るのでは?と期待に胸を膨らませるこの頃です。

 

 

《著者プロフィール》

三輪しののい

1976年生まれ。神奈川県出身。