ぷれす通信

communication

2015年10月号

こわい日記

このあいだ帰省した際、学生の頃に書いていた日記を発見し、どれどれと読んでみたのですが、これが誤字だらけで文章は主部と述部が呼応しておらず、まったくひどいものでした。書かれている内容も……ううむ。よく校正者になれたものだ、と逆に自分を褒めてしまいましたよ(それだけ努力したというふうに都合よく解釈)。

日記は他人に見せるわけでなく、その日の出来事や心情などを自分自身に向けて書くだけだから、字を間違えようがそう気にしなくてもよいのだろうけれど、ふだん本を読みながら、「表記がゆれているな」「同じ漢字で字体が違っているじゃないか」など、あれこれ気になってしまうのが校正者の性であり、やはり日記を書く時にも、目がぎらぎらと光ってしまうに違いないと感じるのであります。

日記帳に向かう自分が懐かしくなって、また書こうかなどと思ってはみましたが、手書きだろうがパソコンだろうが、なんだかんだ辞書を引いたり、検索したり「てにをは」もしっかりチェックして……などとやってしまい、すっかり夜も更けて慌ててベッドにもぐりこみ、朝起きられず遅刻! なんて事態に陥りそうなのでやめました。

しかし「そんなことないわ。私は校正者でありながら何年もすらすらと日記を書いているわよ」と反論が聞こえてきそうな気もして、その場合、前述の懸念は単にヤマモトの文章力の問題なんじゃないかと思い、日記がだんだんこわくなりました。

ちなみに、校正者どうしの交換日記なんてかなりこわいですね。赤字が入って戻ってくる。(校閲部長・山本雅範)

「できること」、「したいこと」がかなう場所

職業を選ぶ基準として、「自分がしたいこと」、「自分にできること」、「人から望まれていること」の3つを満たすものがよいと聞いたことがあります。3つがそろっていれば、やりがい、生きがい、楽しみ、充実感があるというわけです。

さて、私の母は「職業=主婦」で3つを満たして生きてきたのですが、認知症が進み、「人から望まれていること」をするタイミングがずれてきました。「子どもたちに夕食を作ってあげなくっちゃ」と作り始めますが、まだ昼だし、子どもたち(私もそのひとりですが)はとっくに独立して家に帰るわけではありません。夕食は宅配のお弁当が届くので、父は「作らなくていいんだよ。やめなさい!」。また、「おじいちゃんの手伝いをしに行かなくては」と出かけるのですが、祖父は20年も前に他界しています。父は徘徊に付き合うことになり、「毎日これじゃたいへんだよ」。結局、母は「したいこと」も「できること」も「やめてくれ」と止められ、人生の喜びがなくなってきていました。

 3年くらい、父が中心になって在宅介護をしてきましたが、そんな状態となったので、母にはグループホームに入居してもらいました。グループホームは認知症専門の介護施設。共同生活の中で「できること」「したいこと」はします。「望まれていること」のタイミングがずれても、介護士がうまく対応してくれます。ホームでの介護計画には調理の手伝い、後片付け、洗濯ものを取り込んでたたむなど、人の世話をするのが生きがいだった母に合ったものが組み込まれました。「庭いじりもしていましたので、花壇や畑も手伝わせてください」

とお願いしたところ、「では、まずは観葉植物の水やりからお願いします」とのこと。母が生きがいを取り戻してくれることを期待しています。(編集部長・渡辺隆)

『なぜなに日本語』

関根健一 著

三省堂/432ページ

ISBN-10: 4385366063

ISBN-13: 978-4385366067

価格:1,800円(税別)


「二年ぶり」は何年目? 「来週に順延」は正しい? 「新年が明ける」は間違い? など、日本語のさまざまな「なぜ?なに?」に答える本です。

もともとは小中学生向けに易しく身近な例を用いて書かれた新聞連載。これに補足・解説を加えています。解説は大人を対象に、文法や各種の辞書、内閣告示などを根拠にした読み応えある内容。400ページ超、200テーマで厚みも2センチ強あり、そのボリュームもさることながら、内容的にも充実したものとなっています。

たとえば、校正者でも迷いがちな「なおざり」と「おざなり」。

なおざりは「等閑」で、閑(ひま)に等しい、つまり何もしないこと。おざなりは「お座敷形」(おざしきなり)からきている「御座形」で、(呼ばれたお座敷に合わせて)適当にとりつくろうこと。つまり「ほうっておくか、適当にやるか」。

上記は大人向けの補足ですが、これなら頭に入りやすそうですね。

1つのテーマにつき、「子ども向け(新聞連載の引用)」と「大人向け(補足・解説)」を1ページずつ、1見開きで完結。主なキーワードの索引付き。

最近の使い方の傾向やその背景などにもふれ、知識、雑学にとどまらず、実際にどう言葉を使うべきかをも考えさせてくれます。(な)